【ミニマムに暮らす】思い出を捨てたから、手に入れられたこと。

ミニマリスト*断捨離
スポンサーリンク

 

今週は思い出を処分!
押し入れにモノをかたづけるついでに、すてました。

思い切らなくても、
すてれるように成長していることに気が付きました。
かたづけられなかった主婦でもできるようになりました。

 

いちばん難しいところをクリアできました。

こんまりさん流の
 魔法のおかたづけ で学んだ

かたづけ方の順番のなかで言われている鉄則

“思い出は最後にとりかかる”

ということ。

 

これは思い出=写真、手紙、こどもの作品などの思い出類は
ときめく、ときめかないの判断で捨てることが難しいので
最後にかたづけないと他のかたづけに支障がでてくる。

 

とのこと。

 

そうですよね、思い出類って、なつかしい気持ちを連れてきてくれますよね。

あの時こうだったなって。

こんな手紙のやりとりがあってつきあいだしたなーとか

幼稚園ではじめてつくってきた折り紙、懐かしいなとか

この写真は引っ越す前にとった写真たち、とか

思い出にひたってしまって、

気が付いたらもう夕飯準備をしなきゃ、みたいな(笑)

 

普段はしまい込んであって、
引越やかたづけのときに開いては懐かしいきもちになる。

ドラマや映画でもみかける
なにかのタイミングで思い出の品ボックスをあけて
ああ、こんなこと、あったなあ~

って。

そうそう、それがいいんですよ、思い出ですから!

となりそうですが

いやいやちょっと待って?

きちんと管理はしています
押し入れサイズのコンテナBOXに一個分、とか

それってもったいないですよ!!

 

たまにしか見ないものを置いておくスペースにはお金を払わない

SPONSORED LINK



 

うちは賃貸住宅に住んでいるので、
毎月定額の賃貸料が発生しています。

毎月くらすために
旦那さんが稼いでくれたお給料から、
家族が住むための賃貸料も支払っています。

くらすためには必要なモノを置くスペースにも支払っています

 

月ぎめで駐車料金を支払うのと同じような感覚ですね。

毎日の通勤や、子供の習い事、買い出しなどに頻繁に使う車を
おいておく場所への支払い。

今の生活で車が切っても切り離せないくらい必要不可欠ならこの場合はムダとはいいません。

特にうちのような、鉄道もバスも身近に使えない、
マイカーがなければ少しの遠出もできない地域なら
月ぎめ駐車場を借りてまで車を止めておくことも必要になります。

 

でも、普段の移動も、公共機関の乗り物があるし、
何かあれば緊急でもタクシーを使ってます、というような方が、

それでも何か必要なことがでてくるかもしれないから、
と、車を月ぎめ駐車場を借りてとめていたとしたら、

わざわざ月ぎめ駐車場に場所をかりるのはもったいないですよね。
(趣味でもっているわけでもなければ、車を所有することももったいないですが)

 

 

たとえが長くなったけど

同じように
押し入れサイズのコンテナ1個分を置くスペースにもお金がかかっているわけです。

ほぼ毎日使っている衣類や食器類とくらべたら・・・・

年に1度、あけるかあけないかの思い出類のために
場所とお金をかけるのはすごくもったいない!

ということに気が付きました。

ほんとうに、たまにしかあけてみないのに
ご丁寧にコンテナBOXにいれてあるけれど全然見ないぞ!?

たまにしかあけて見ないコンテナBOXを置いておくことがもったいなくない?

と。

とはいってもすぐにこれらを仕分けすることもいきなりはできません。

 

思い出の処分には 時間がかかってもいい

こんまりさん流の魔法のお片付けには、こうかいてありました。

 

なので、こんな風に捨てることに。

  • やぶれているものは、スマホで写真をとってから捨てる。
  • 工作などの大きい作品も写真にとってから、捨てる。(作った本人にもきいておく)
  • 写真、手紙もどうしてもこれだけ、にしぼる。

この方法で、じわりじわりと減らせました。

前回見た時には、いる、と判断していても

次に見た時には、もうなくても大丈夫!と処分できていきました。

 

大事な思い出だからこそ 自分で処分したい

 

ちょっと、偏愛的なタイトルにもみえますが(笑)

最後の最後は、自分で処分できることが幸せなのかもって思いませんか?
最近は突然の災害に見舞われてしまい
思い出の品もなくなってしまうようなことがあるかもしれません。
そんな風にお別れをするよりも
思い出の品をよし!すてよう!と決めてすてることで、
執着からはなれることもできます。

自分の中で消化したことになりますね。

 

消化したうえで残しているものにしても、
心の中で いる、いらない の判断はできてるので

たとえ急な何かでなくなったとしても
惜しくはないはずです。

 

最後、手元に残った思い出は、
なんども いる、いらない、を繰り返し、勝ち残ってきた、むき合った品物です。

 

“思い出”としてなんとなくひとまとめに置かれていたときよりも
きらきらとしています。

これって、すごくないですか?

家の場合は、
勝ち残り作品はリビングに飾られたり、
おじいちゃんおばあちゃんのもとに旅立っていったり。

 

大切な写真と手紙は、いつも私が手に取れる手帳の中にと。

ずっと大切な思い出の居場所は、
押し入れの中から、家族や自分の近くへと変わりました。

 

大切だから、いつもそばで感じられる。

こんな幸せにずっと気がつきませんでした。

 

思い出の仕分け、大変ですが、やる価値は大いにあります!!

がんばりましょう!
応援してます^^

 

読んでいただきありがとうございます!